大変遅くなりましたが
先月、ワイン教室が開催されました。

まずは、好例の?前座から。

ワインと音楽のマリアージュ第27回。先月は
オペラ、今月もオペラです。イタリアの作曲家プッチーニの「蝶々夫人」

madame butterfly board

舞台は19世紀末の日本・長崎、アメリカ海軍士官ピンカートンと
15歳の芸妓、蝶々夫人の物語です。その中の有名なアリア、
「ある晴れた日に」を取り上げました。

ワインはイタリアではなく日本人女性蝶々夫人にスポットを当て、
甲州テロワール 祝 セレクション 2013 を取り上げました。

綺麗なワイン、ステンレスタンクのみで発酵。
飲み終わったあと、とてもチャーミングでデリケートっで包み込んであげたくなる
まるで、凛とした乙女のようなワインですね。心地よい感じ、とマダム。

koshu iwai selection 2013

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では本題です。

チリワインの歴史はヨーロッパからの移民によりはじまります。
時代の変化に生き残った大金持ちの貴族が安住を求めてフランス、イタリア
アルゼンチンやチリに進出します。
15世紀のスペイン侵攻により消失した南米の文明。その原因は黄金。
されどチリでは金が採れませんでした。
しかし現地人を雇って鉱山を開き、結果、鉄鉱石や硝石が大量に産出。
それがヨーロッパで高値で取引されチリに潤いをもたらしました。

そしてチリの大富豪たちは。フランスやイタリアなど
ヨーロッパ各地を訪れ、帰国後もチリで洗練されたヨーロッパの食事や芸術や
そしてワインの文化を楽しむためにぶどうの栽培家、ワインの醸造家、苗木。あらゆる
職人たちを引き連れて帰国。そこから一部の大金持ちのためだけのワイン造りが
始まったのです。
その代表的な人物の1人にドンメルチョーがいます。
彼はとりわけてシャンパンにハマりました。そしてチリで
シャンパンを初めて造った人と言われています。

それにしても古今東西の大金持ちは何かと
ワインにハマる傾向が強いようです。多くの人を魅了する
貴金属や宝石のような価値が
あるからだと思います。

さて、今回のテーマは進化するチリワインでした。
どのように進化したのか、30年前と20年前、そして
現在に分けてみて比較したいと思います。

それは1979年スペインのカリスマ醸造家
ミゲル・トーレスさんがチリに進出するところから始まります。そのことにより
それまでにチリにはなかったステンレスタンクやフレンチオーク樽が導入され
びっくりぽんな上質ワインを世に送り出し、結果、
チリの生産者は醸造機器や技術習得の投資の必要性を痛感させられたようです。

それから約10年後、今度はフランスの
シャトー・ラフィットのバロン・ド・ロスチャイルドが進出、その2年後には
スペイン、オーストラリア、カリフォルニアからも進出が相次ぎます。
またチリの地元生産者は彼らの進出に触発されより一層、ぶどう栽培や
醸造技術の発展に寄与しました。

そして1991年、チリ最大の生産者である
コンチャ・イ・トロ社が劇的な改革を遂げます。これまでのコンクリート樽や
チリ原産の大樽をやめてステンレスタンクを設置、これにより発酵温度などの
管理が容易になりすぐれたワインが誕生。そしてテロワールを意識した畑作りが
始まります。

この頃、安くて美味しいワインとして
チリワインは評判を呼びます。代表的なものにチリカベ(チリのカベルネ
ソーヴィニョン)がありました。そして90年代後半からプレミアムワインの転換を
アピールするようになり、2000年代になるとコルチャグア・ヴァレーから
トップクラスワインが誕生しました。その地方を象徴する極めて高額で
希少価値が高いワインをアイコンワインと言いますが、チリ初の
アイコンワインが先ほどご紹介しましたドンメルチョーだったのです。

そして現在、ていうか昨年に
日本での輸入ワインの統計で初めてチリがフランスを抜きトップに躍り出ました。
ちなみに2位はフランス、3位がイタリアでした。

こうしてみるとチリワインの発展の歴史はまさに
ヨーロッパ人と先住民とのコラボレーションによるものかもしれませんね。

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